石徹白の地域づくり
石徹白について
石徹白は、岐阜県郡上市の北西部・福井県との県境、白山国立公園の南山麓に位置する小さな集落です。
岐阜県側からは九十九折れの峠道を車で約20分。標高950mの桧峠を越え、スキー場を2つ越えたその奥に位置します。一方、福井県からは、大野市和泉地区中心部より、石徹白川沿いの道を約20分走ったその奥に位置しますが、福井からの道は冬季は通行止めとなります。
山奥に位置し、四方を山に囲まれていながら、集落には比較的平地が多く空が開けることから、「山ふところの別天地」と言われています。
集落内からは縄文時代の遺跡が出土しており、古くから人々が暮らしていたと言われています。
「白山中居神社」は、縄文時代より祭祀が行われた場所であり、神社の創建は景行天皇12年(西暦92年)と伝えられています。平安時代から鎌倉時代にかけての白山信仰が盛んな時代には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修験者の出入りで栄えた土地であり、近世(明治)まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免除・名字帯刀が許されていました。ゆえに「中世的支配体制」が明治になるまで維持され独特の文化が形成されました。
最奥の「上在所集落」は夏は修験者や白山参詣の道案内と宿坊を営み、冬は「御師」として各地に信仰を広め御札を配ることを生業とする人々の住むところでした。
古い土地柄から文化財が多く、中でも「大師堂」にある「虚空像菩薩」は国定重要文化財に指定されています。これは当時奥州を支配していた「藤原 秀衡」の寄贈とされており、小さな村ながらも白山信仰の重要な拠点であったことがうかがえます。
また、最近の研究で「源 頼朝」の追尾を受けた「源 義経」が奈良吉野山から奥州平泉への逃避行の途中石徹白に逗留し、雪解けを待ち脱出した可能性があるとも言われ、石徹白に残る伝承にもそれを示唆する記述が見受けられます。
平泉から虚空蔵菩薩を運んできた「上村十二人衆」は、その後、石徹白に定住しました。現在も石徹白に残る上村姓・上杉姓・桜井姓はその子孫と言われています。
標高700メートルに位置するため、年間を通して冷涼な気候です。夏はクーラー不要と言われていましたが、近年の地球温暖化に伴い、日中は30℃を上回る日も増えてきました。
昼夜の温度差により、さまざまな野菜の糖度がとても高くなります。中でもとうもろこしは、甘くて美味しいという評判で知られてます。
一方、冬は、少ない年で1.5m、多い年は3.5mを越える雪が積もる豪雪地帯です。ウィンタースポーツを楽しまれる方々には絶好のロケーションですが、反面、地域住民にとっては厳しい雪国生活が強いられます。
江戸時代までどこの藩にも属していなかった石徹白ですが、明治から昭和初期にかけて、石徹白は福井県大野郡となりました。昭和33年には岐阜県郡上郡白鳥町に越県合併し、平成の大合併を経て郡上市となりました。
昭和30年の合併前には約1300人いた人口は、高度成長とともに急激に減少し、2026年現在は約200人と、最盛期の6分の1以下となりました。一方、2000年代以降の地域づくり活動により、地域外からの転入が増加しており、現在は住民の3分の1は過去20年の移住世帯となっています。